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camellia の日記の時間

日記や思うところなど日常の何かを書いています。

camellia の日記の時間 は kisaragi-mint の日記へ移行しました。

スクールセクハラについて思う

教師は聖職者であるから生徒へのセクハラは教師としてあるまじき行為。とは言うものの、大学生が教員免許を取得して教師になるとき、何か特別な、精神が浄化されるような儀式をするワケではないです。要するに僕らと同じ人間で、教師と言う立場を与えられているだけなのです。きっと僕らが同じ立場に立たされたら同じことをするに違いありません。統計学的に言うなら絶対同じことをすると言えるのではないでしょうか。

では確認されたスクールセクハラが少なかった頃はどうだったのでしょうか。確認されなかっただけで実在していたのかもしれませんが、例えば数十年前の様子についてセクハラと言うより大恋愛に発展するケースを聞いたものです。昔はスクールセクハラが少なかったと仮定して、今と何が違うのか考えると『昔は教師が聖職者だった』と言うことが挙げられるように思います。

昨今の教師と言うのは責める時には「聖職者なのに」と言われますが、そうでもなければ「フツーの人と同じだから」みたいな扱いじゃないでしょうか。生徒の親は教師を敬いませんし、生徒も敬いません。結局のところ今の教師は聖職者として扱われていないのです。それに引き換え親からも生徒からも昔の教師は聖職者として扱われていたのです。

当然、聖職者としてふさわしい人物だったからこそ聖職者として扱われていた、と言うのはあると思います。しかし今と同様、彼らは教師と言う肩書を持っているだけで我々と同じはずです。じゃぁ何が違うのか。それは聖職者として扱われていたが故に聖職者として振る舞い、聖職者にふさわしい人物に育てられたと言うことではないでしょうか。

アヴオーヴォ、鶏が先か卵が先かを議論する愚は侵さずに考えるなら、聖職者として少しふさわしくない教師と、聖職者としての扱いを少ししなくなった親・生徒が居て、そこからどんどんお互いの距離が広がってしまったのではないでしょうか。ひとまずのところ原因についての僕の回答です。

じゃぁ解決する方法はと言うと、過去の関係に戻すか、新たな関係を築くか、の二択になるでしょうか。ここで僕は新たな関係について思いを巡らすのですが、良い考えが思いつきません。過去の心の関係を捨てて制度で縛られた関係にするのも何か違う気がしますし。では過去の関係に戻すにはどうすればよいのか。前述で『心の関係』と書きましたが、いわゆる信頼関係です。信頼を取り戻すために誰かが努力をしないといけません。ここで親・生徒は大衆の側にまわります。「水は低きに流れ、人々の心もまた~」なんて話がありますが、心や気持ちが流れてしまった大衆を動かすのはムリなのかもしれません。やはり教師の側に頑張ってもらうしかないのではないでしょうか。最初は精神的な訓練をする制度作りから始まるかもしれません。そこから教師の側に聖職者として扱われなくても聖職者として行動できる強い意志が芽吹けば話は成功です。

とてもバカげて聞こえると思います。書いている自分も「それってどうなの」と思います。でも懲罰や何やでがんじがらめにしていないと何をしでかすかわからない教師に子供達を任せるよりよっぽどマシな選択だと思うのですが、どうなんでしょうね。

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