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camellia の日記の時間

日記や思うところなど日常の何かを書いています。

camellia の日記の時間 は kisaragi-mint の日記へ移行しました。

近所の金比羅神社

神社

以前「氏子(うじこ)を辞めます」って記事を書いたのですが、ちょっと細く情報みたいな話です。

さて、ウチが氏子になっているのは金比羅神社です。この金比羅神社の付近には大きな川とか湖とか存在しないんですよね。戦国時代の尼子氏が隆盛を際てめ中国地方一体を納めていた頃にはこの金比羅神社の近くに川が流れていて、尼子氏の居城、その城下町であるここの川には多くの船が発着していたはずです。だからこその金比羅神社なんですね。それがいつ頃なのか江戸時代とかそれ以前に川が氾濫して町と川の位置が入れ替わっちゃったんです。そんな経緯で水のないところに金比羅神社なんですね。

 

川面の船

さぁ、船の安全を祈願する金比羅神社なんですが水も船もない現状では、何と言うか、身も蓋もない言い方をすればご利益がないんですよね……。歴史的経緯など踏まえれば守っていくのも良いことのように思えるのですが、なんとも小さな神社でして、常駐する人は誰もおらず別の神社の神主さんが兼任してるんですよね。しかもお参りする人なんて年に何人いるのかって感じで。

しばしば言われる話に「信仰が失われると神の力も失われる」なんてのがあるのですが、僕はそれについて納得しているのです。そもそも神とは信仰が創りだした存在なのですから。そういう話からして氏子になってる人達からの信仰など存在しないような状況ですから、これも時代といえば時代なのかもしれませんが、そもそも住所で氏子かどうかが決まるはずの話でも「ワシは氏子を辞めるぞ!」なんてことにもなってくるワケです。不景気だし年金少ないしでウチは貧乏ですしね。

ま、僕的に言うと「伝統と呼ばれた時点で衰退することが決定づけられている」と言うことになりますね。なんでも時代に合わせてその在り方を変容させて行かないと守られるばかりの伝統は廃れていくのが必定です。現状のこんなことも仕方のない事なのかもしれません。

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