camellia の日記の時間

日記や思うところなど日常の何かを書いています。

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うつ病の来歴( 2006 ~ 2016 )

ここでは何度も昔の話、うつ病が判明した頃の話をしてきたかと思うのですが、時系列がめちゃめちゃだったりなんだりでよく分からなくなっていると思うのでここで思い切って頑張っていっぱい書こうかな、と。

神戸での暮らし

鬱病の症状の発露

神戸で「精神科へ行って診てもらったらどうか」と上司に言われた頃の僕は会社の中で粗暴な言動が目立っていました。それ以前を考えれば原因不明の強烈な咳が続くとか労働時間が月に 400 時間以上と長かったこともあり常に疲れ果てているような状況でした。

で、なんとなく探して神戸元町にある精療クリニック某に行きました。そこでの見立ては自律神経失調症とかうつ病とかなんだかそんな感じのことを言われたように記憶しています。処方してくださった薬は主にパキシルで、とりあえず 1 ヶ月間の休職をすることになりました。

退職までの一年半

休職して自宅に居るとうつ病の症状はありませんでした。ただただ暇な時間をぼんやりと退屈に過ごすばかりです。だから通院して医師に伝えるのは良好であると言うことしかありません。というわけで 1 ヶ月の休職の後に復帰。うつ病を考慮して定時で退勤するようにしていたのですが、しかし復帰してしばらくすると会社に行くのが嫌で嫌で仕方ないと言う症状が出るようになりました。怠けではありません。そもそも会社の総務からは働くのを自粛するよう言われても無理矢理、勝手に働いた結果のうつ病なのですから僕は働くのが大好きで趣味なのです。

出社できない日が続いたことでまた休職です。休職を 3 ヶ月にしたりしながら同じことを繰り返しました。なんとか出社できた日もやる気がなく、景気付けに会社事務所があるビルの 1 階にあるコンビニでカップ酒を買って飲んだりもしました。酷いですね……。

そうこうしている内に法的に休職が認められる一年半が過ぎて止む無く退職です(自慢じゃないですが出世頭だったのでギリギリまでクビはなかったのです)。退職金と、両親が僕の結婚の時のために貯めていてくれた預金を使って暮らす日々が始まりました。

無職の日々

しばらくは 200 万円くらいのお金を好きな様に使って楽しく生活していたのですが、僕は退職した会社への帰属意識が強く、そこへ戻れないのじゃないかと言う不安を感じるようになりました。こうなるとうつ病だかなんだか分からない意識がある時は常に強い不安を感じると言う状況になってしまいました。この時期ですね自殺を強く意識したのは。ただただ苦しいばかりの毎日で希望なんて見えませんから死んだ方がマシですよ。ただ死への恐怖の壁は厚く高いものでそれを乗り越えることはありませんでした。ちょっと頭が変になって、ちょっとリスカして血を飲んだりしたことはありましたけどリスカじゃ死ねないですものね。

そんな毎日にを乗り越えるため朝からチュウハイを飲むようになりました(チュウハイは安いですからね)。なんとか求職活動で面接に行くときもチュウハイを飲んで酒臭いままだったことでしょう。とは言えチュウハイをいくら飲んでも酔えなかったのですが。

そして手元の資金が尽きて一人暮らしが破綻します。情けないことですが島根の両親に泣きつくことにしました。

実家での暮らし

通院しない日々

何ででしょうね。神戸の精寮クリニック某での薬は少しでも病状を良くしていたようですが、それもなく、なのに島根の実家から精神科へ通院することはしませんでした。僕は薬もなくてボロボロですし、両親は通院を促すようなこともありません。まぁ両親は精神病について無知だったのでしょう、仕方がありません。

この頃の僕は怠くて体を起こしているのも辛い状況で、祖母の葬式でも途中で抜けたくらいです。冬は異常に寒く、気分も憂鬱ですからただただじっとしているばかりでした。この頃も死にたいと思っていましたからそのことを口にすると両親は嫌そうな顔をするのでした。そうそう、うつ病も病状が酷いと治療する意思すらなくなるんですよ、恐ろしいものです。

通院開始

実家に身を寄せてどれだけ経ったのか覚えていませんが、両親もいよいよ医師に助けを求めるしかないと分かったらしく自宅から近くにある精神科の医師に診てもらうことになりました。そしてそう間が開くことなく僕は服薬しつつも社会復帰できる状態になりました。僕を救ってくれた薬はアナフラニールでした。医師の見立ては非定型うつ病で、これには三環系抗うつ薬がよく効くのだそうです。この医師の腕が良かったのか、神戸元町の医師がヤブ医者だったのか。そして元気に求職活動開始です。

再就職

再就職までは長くかかりましたが、これまでの職種と近しい仕事が見つかって採用されることになりました。この会社では長時間労働は控えましたし会社の雰囲気として長時間労働は厳禁って感じでした。ホワイトですね。そんなわけでここでの話はこの程度です。

父を殺してやる

さて、会社では特に何もなかったのですが再就職して一年半くらいした頃から感情が高ぶるようになりました。この事について医師に相談していればよかったのですが、感情が高ぶってない状況ではすっかり忘れてしまっていて相談できずにいました。感情が高ぶると自室で暴れて物を壁やドアに投げつけるようなことをしていました。その後始末は両親がするのですが。

で、これとは別に僕は入眠障害もあったので夜中になっても寝付くことができません。それで酒を飲んで夜食をして、そうすると眠くなって眠れるのです。と言うより夜食をしないと眠れないのです。この夜食について父がいちいち文句を言うものですから、元々心の深いところで父に悪感情を持っていて酔っ払って感情が高ぶっている僕は本気で父を殺そうとしました。と言っても気が狂っている状態でまともな思考はできず包丁で斬りかかるなどはなく、とりあえず素手で目を潰そうとしたくらいでしたが。

しばらく暴れて落ち着いて、母が呼んだ警察の方に連れられて最寄りの警察署(交通課しかない)の留置所(?)で一晩明かして翌日には地元で有名なキチガイが入る病院に入院です。

入院生活

入院生活は生き地獄でした。あれ以上に苦しい思いをしたことはありませんし、またあんな思いをするなら自殺したいです。アナフラニールの投与がなくて無気力無関心。それでもインターネットを利用できれば Twitter などを眺めることもできるのですがそれもできず。ただただ呆として過ごします。夜になっても眠れず追加の睡眠薬を貰っても眠れず呆とするばかりです。退屈が地獄なんだとはこの時に知りました。そんなこんなで退院できたのは 2 ヶ月後のことです。

神戸の再現

入院したので会社は休職してました。そして復帰したのですが神戸の会社での会社に行くのが嫌で嫌で仕方ない状況の再現です。休んだり、午前中だけ出社したり、休職扱いでいろいろと会社からも便宜を図っていただいたのですが結局のところ法的に認められる休職期間である一年半が過ぎて退職しました(自慢じゃないですけどこの会社でも高い評価を頂いていたのでギリギリまでクビはなかったのです)。

精神障害者認定

さて、自宅でぷらぷらしている分には比較的楽に過ごせるのですが現実問題として働くことができないのです。基本的には出社ができないのだから自営業でもすればよいのでしょうが資金もなしに始められるわけもなし、資金なしでホームページ作成サービスを立ち上げたのですが顧客はゼロ。そもそも出社ができないのは基本なだけで、体調が悪い時も十分にあるのでやはり自営業は成り立たないでしょう。そう、現実問題として収入を得る方法がないのです。こんなの事実上の精神障害者です。そんなわけで精神障害者に認定してもらいました。精神障害者としては 2 級なのですが障害厚生年金は 3 級で少ないです。金額的には両親が 70 歳近くて年金をもらっているけどそれだけじゃ生活できないから未だに働いている家計の足し程度でしょうか。

そして今

そもそも三環系抗うつ薬であるアナフラニールが効かなくなってしまっています。医師曰く「過去に効いたのと同じ処方にしても同じ結果にはならない」とのことで、紆余曲折はあったものの今は一応似た効果(?)で SNRIイフェクサーを使っているのですが、さて、あまり芳しくはないですね。たぶんですが、僕はすごくやる気がある状態じゃないとまた同じように出社できなくなると思われます。しばらく前には障害者福祉施設に通おうとしたのですが 1 日目は楽しく仲良くやっていたのですが、翌日から行くのが嫌で嫌で仕方ない状態になってダメでした。

今後は?

楽観視できる精神状態の時は先のことを考えても大丈夫なのですが、うつ状態で先のことを考えるといつどうやって自殺しようかなんて考えてしまいます。どちらにせよあまり考えたくないですね。

ところで

神戸で通院している頃にセカンドオピニオンを利用したことがあります。この際にまず通院しているクリニックを尋ねられました。ここでピンと来たんですけど、お医者さんって近隣だと会議とか親睦会で顔見知りになってつながってるんじゃないですかね。それを考えると近隣の病院にセカンドオピニオンを求めても意味が無いんじゃないかと。可能なら異なる都道府県のお医者さんに頼みたいところです。

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