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camellia の日記の時間

日記や思うところなど日常の何かを書いています。

camellia の日記の時間 は kisaragi-mint の日記へ移行しました。

フォロー・リムーブご自由に。

Twitter のプロフィールにしばしば書いてある「フォロー・リムーブご自由に。」の一文。僕は 2006 年の春過ぎから Twitter を利用してきたのですが、当時の気風として「気楽な付き合い」「軽い付き合い」を重視するというものがありました。重視と言うと固く聞こえるのですが、なにかと難しいことや主義主張を押し付けられるような経験をしてきた人達がそういう風土に嫌気が差して、 Twitter では自由であろうとあえて意識していたような感じでしょうか。そう言った気風を表す意味で使われていたのが「フォロー・リムーブご自由に。」だったように思っています。

で、当時は Twitter のユーザは今と比べてとても少なかったので上述のように気風なんて言うものが存在したのです。でも今の Twitter のユーザは大きく増えて情報伝達のインフラとしての役割を担うまでになっています。そうなると気風と言うような、ある種 閉じた空間に存在するものはなくなってしまい、それこそ社会の様子を反映するように多種多様な価値観を内包するようになります。そんな中で使われる「フォロー・リムーブご自由に。」は、まことしやかに囁かれる恐怖体験も相まって以前とは異なる意味を成しているような気がしています。

さて上記の恐怖体験ですが『誰かをフォローしたら「フォローするな」とクレームを付けられた』とか『誰かにリプライしたら「勝手にリプライするな」とクレームを付けられた』とか、そんな話です。

Twitter と言うウェブサービス既知でなくても誰でも自由に距離感ゼロで接することのできるシステムです。そう言ったシステムを提供している Twitter 運営側はやはりそう言ったコミュニケーションを意図しているものだと理解できますから、距離感ゼロのコミュニケーションは間違いではないのです。まぁそのあたりリプライするのが自由ならそれを無視するのも自由と言うのが昔ながらの感覚なのですが。とは言えリアルでそんなコミュニケーションは成り立たず、既知でなければ大きな距離感が存在するのが当然です。その感覚をそのままネット( Twitterに持ち込んだ人にとっては前述で恐怖体験と呼んだ反応はごく当たり前のことです。

と、言うような現在の Twitter が置かれる背景を鑑みて、親切な人やトラブルを避けたい人は自身のスタンスをプロフィールに記述することになります。そこで「僕は難しいことを一切言わないよ。」と言うスタンスを共通的な表現として記述しているのが今の「フォロー・リムーブご自由に。」なんじゃないかと思うんですね。結局のところ古今で言っている意味は同じなんですが目的が大きく異なるのかな、と感じます。そのあたり「昔は村だったのが今は都会になったことで世知辛いような様相になった」と言えばそんなものなのだろうなと、感じられます。

こう言ったものは文化であり、文化は移ろい行くものですから、過去の習わしを後生大事に持ち続けるのは物事の変化が早くなった現代において賢いやり方ではないのだろうなと、僕は思います。僕にはどうしても保守的なところがあり、やはり自分が持っている既存の価値観にこだわりがちになってしまう気がするのですが、大局を見て賢く自身の価値観を移ろわせることができればいいなーと、高望みする今日このごろです。

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