読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

camellia の日記の時間

日記や思うところなど日常の何かを書いています。

camellia の日記の時間 は kisaragi-mint の日記へ移行しました。

いじめを無くすのに本当に必要なこと

いろいろ

いじめを無くすことをテーマに話をする祭など、しばしばいじめられる側の気持ちを強く訴えることが多いように感じます。しかしこれってどれだけの意味があるんでしょうか?

そういった話を聞くにつけ分かるのはいじめられるのは嫌だということでしょう。でもそんなことって何度も言われなくても分かることですし、逆に何度言われてもホントに理解することなんてできないでしょう。まぁせいぜい同情するくらいじゃないですかね。

僕が重要だと考えるのはいじめる側の心理をいじめる側に理解させることです。いじめている張本人が自分の心理を分からないことがあるのか? こういうことはある程度年齢を重ねれば当然そうだと理解できるかと思います。いじめに限らず、自分自身の行動の裏側にあるホントの気持ちってのは意外と見えず気付かないでいるものです。それを見つめて素直で真摯に受け止めることで人間的な成長ができるのではないでしょうか。

自分のホントの気持ちを受け止めるのは、これがまたなかなか難しいものです。例えば誰かのやり方が受け入れられないその裏側に強い嫉妬心が隠れている場合など、自分がそんな思いを持っているなんて認めたくなくて、それを指摘されても拒絶してしまうかもしれません。こういったことを自分一人だけで見つけ出して素直で真摯に受け入れるのは更に難しいでしょう。

この難しい作業の手助けをするのが、その人を成長させることにつながるはずです。即ち、いじめの心理の理解を手助けすることでいじめをしない一歩成長した人間に導くのです。

ところで、いじめを無くすよう導くことのできる人というのはどれほどいるのでしょうか。いい年をした大人だって、子供に優しい親だって、実はそれと気付かずいじめをしていることってあると思うんですよ。まぁいじめを実際にしないにしてもいじめる側の心理を持っていると気付かずに生活しているとか。

それは例えば正義で殴るとかいうような言動です。ほんの少しの何気ない言動がいじめの構図を作り上げます。芸能人などの公人が犯罪を犯した時、ワイドショーの取材陣がそれを追い回し、挙句視聴率が取れるように視聴者の反感を招くような言動を誘導する。そしてそのワイドショーをなんとなく見てヒマを紛らわす視聴者。この時の視聴者なんて何をしているわけでもないのですが、ワイドショーの視聴率が取れている内はワイドーショーの取材陣はこぞって対象者を叩くわけで、それは結局のところ視聴者はワイドショーがいじめているところを黙って見ている観衆です。これ、学校でのいじめをなくそうって話をする際に「勇気を持っていじめはいけないと声を上げよう」って教えるやつですよね。教室の 30 人が全国の 30 万人の視聴者になって分かりにくくなっているかもしれませんし、極端な話に聞こえるかもしれませんが、しかし構図は同じです。

上述を含め、僕も同じように、生活の中の思わぬ場所に嗜虐的な気持ちが隠れていることがちょいちょいあると思うのです。あからさまないじめじゃなくても、耄碌してきた母親への当たりがきつくなるとか、会社で無能な奴への扱いがぞんざいになるとかね。

そういう生活の中の嗜虐心を素直で真摯に受け止めるのがどれだけ難しいことなのか。はたまた受け止めたとして実際にいじめのような言動を慎むのがどんなに難しいことなのか。そのことをよくよく理解し、いじめる側の心理と向き合っていじめる側の人を成長させるのは実はとても難しいことなんじゃないかと思います。

と、言うワケで。いじめを無くすのに本当に必要なことというのはいじめを無くす運動をする人が自分自身のいじめの心理と向き合うことではないでしょうか。そういった人達にしてみれば、自分自身にいじめの心理があるなんて認めたくはないのでしょうけど必要なことです。問題というのはその原因を見つけないと解決できないのですから。

広告を非表示にする